『院長のひとりごと』

混声合唱団はもーるKOBEコンサート♪

2011年9月1日

2011年8月28日(日)、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて、混声合唱団はもーるKOBE第32回コンサートに出演してきました♪合唱に魅せられた神戸っ子が、中には市外や県外からも灘区の練習場に土曜の夜に集まり、この日に向けて1年間練習してきました。

年々団員が増えて今回出演したのは80名。そして、聴きにきて下さる方も嬉しいことに年々増えていて、今年はなんと1507名の観客の方が集まってくださいました!素晴らしい大ホールで、たくさんの方々に向けて歌声を響かせるのはこの上ない幸せな気持ちでした。ステージは、はもーるが出会ってきた世界の新進気鋭の作曲家、編曲家たちによる曲や、ダンスや躍動感ある振り付けのついた曲、ミュージカルナンバーや、震災復興への祈りをこめた曲など、多彩な内容で、聴いてくださった方々にも楽しんでいただけたのではと思います。来場していただいた皆様に、心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

来てくださった友人たちから、今年も綺麗な花束やお菓子、シャンパンなどのプレゼントをいただきました。新鮮なうちにお花の写真を撮りました。お花って、ほんとに心を浮き立たせて幸せな気持ちにさせてくれますね。また、心暖まるお手紙やメールを頂戴し、大感激のコンサートだったと言っていただき嬉しい限りです。重ねて御礼申し上げます。


来年のコンサートは、またまたこの素晴らしいステージ、県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて、平成24年8月26日(日)午後3時から催されることが決まりました!皆様、来年も是非よろしくお願いします。

梅雨の日の飛雲閣とシチダンカ

2011年6月19日

6月のとある梅雨の日、西本願寺の特別拝観で飛雲閣を訪れた。今、大河ドラマで秀吉の「聚楽第」がよくテレビに映っているが、もともとこの飛雲閣は聚楽第の池に佇んでいたとのことで、正面左側の唐破風の屋根の下に、舟の着く部分がしつらえてある。テレビ画面でも、池に浮かぶ優美な建物がちらっと見える。


実は、この建物には、今年2月に札幌の雪まつりを訪れた折、精巧に当寸大に作られた雪像の姿を観て驚かされていた。一度是非、実物を観てみたいと思っていたところであった。

秀吉の勢いが感じられる優雅たたずまいで、金閣、銀閣と並ぶ京都の代表的な建築物であることが納得させられる。大河ドラマで再度確認できることも楽しい。

梅雨の日の静かな京都を楽しんだ翌週、今度は梅雨期の靄に育てられたあじさいを六甲山森林植物園で楽しんできた。


写真は、シーボルトが発見し、オランダに帰国後に著した「フローラ・ヤポニカ」の中に「Hydrangea serrata」として紹介したヤマジサイの仲間、「シチダンカ」。幕末にシーボルトが発見して以来130年が経過した後、「幻の名花」とされてきたこの花が、六甲山で発見されたとのことである。


満開のブルーのシチダンカの中に、ピンクのものも少し混じっていて可愛らしい。そういえば、合唱団の合宿で六甲山頂YMCA に出かけた時も、庭でこの花を見かけた。シーボルトの娘のイネは、日本の女医の草分け的存在。敬愛するイネのお父上の見つけた可憐な花を六甲山で観ることができて、元気をもらえた気分である。

指揮者の岩村力さんにお会いしました

2011年6月3日

夕方、神戸市立中央市民病院眼科での勉強会で、ips 細胞から作成した網膜の色素上皮細胞の培養シートを人間の目に移植して治療を行う再生医療の話を聴いた。高橋政代先生による熱い講演はとても感動的で、世界初のips 細胞の臨床応用が行われる日もかなり近くに迫っていることをわかりやすく説明していただいた。加齢黄斑変性や網膜色素変性症などに対する画期的な治療が展開される日も、もうすぐである。移植に必要な細胞の数が、眼球では少なくてすむ、心臓や肝臓の1000分の1ですむ、だからいち早く実現にこぎつけることができた、という解説にはなるほどと思わされた。

科学の話に興奮を覚えたあと、今夜はもう一つの楽しみが待っていた。友人のはからいで、三宮の寿司屋さんで指揮者の岩村力さんにお会いすることができた。写真のとおり、指揮者というイメージをちょっと破った感じの、ダンディーでスポーティーでとても素敵な方である。


岩村さんは、現在、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団のレジデントコンダクターをされているが、日本全国のみならず、イタリアを始め全世界を飛び回ってオーケストラ指揮者として活躍中である。三宮でお目にかかれるなんて感激である。南イタリアのバーリでの楽団指導の話、朝比奈隆さんの話、ステージで役者顔負けの演技を披露された話などなど、周囲にいるどの人もそらさない、楽しい話題に惹きこまれ、気づいたらあっという間に3時間あまりたっていた。

岩村さんの次回の舞台は、8月7日(日)午後3時、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO 大ホールでの「魔法のクラシックコンサート」での指揮とのこと。魔法のレストランの水野真紀さんが、クラシック音楽のメニューを紹介してくれる。是非聴きに行きたい。

そしてその同じ大ホールで、8月28日(日)午後3時、私の所属している混声合唱団はもーるKOBE 第32回コンサートが開かれる。ただ今、団員一同、コンサートに向けて熱く練習中である。こちらも皆様是非聴きにいらしてください。

梅雨入りの5月

2011年6月1日

時間軸がずれてしまいましたが、5月中旬の土曜日の夕方、画家の杉山知子さんが元町で久々に開かれた個展を観に行ってきました。アトリエで作品を色々見せていただいたことは何度かありましたが、個展をのぞいたのは初めて。中学高校時代の私の同級生である弁護士、弘子さんと一緒にオープニングパーティに参加させてもらいました。弘子さんと知子さんは幼稚園小学校時代の同級生、私と知子さんは、娘同士が幼稚園小学校の同級生という三つ巴関係です。写真左から、弘子さん、知子さん、私。



杉山さんの描く絵は、マティスの作品のような暖かみのある綺麗な色の作品。今回は、積み木、育つ木、丸いつながりなどをモチーフにした作品群を色々見せていただきました。震災直後に1000軒の絵を描いて16年め。着実に育つ街をイメージされたのか、のびる、積み上げる、育つ力を感じさせられました。

そして迎えた5月27日の誕生日。弘子さんたち同級生が集まってくれて、大きな誕生ケーキで祝ってくれました。5月生まれの人が3人いたので合同誕生会。最近ケーキの写真が続きますが、いくつになってもケーキと花束は嬉しいものですね。



5月というのにもう梅雨入り。珍しいことに台風まで到来。散歩に出かけるココは、レインコート姿です。5月っていつもは爽やかに過ぎていくのに、イメージ狂います。それでも散歩好きなんだワン。

サプライズをありがとう

2011年5月26日

昨夜は、眼科スタッフと素敵な仲間たちによるパーティが開かれた。


そう、私の誕生日が迫ってきたのと、眼科開院16周年を祝ってのHAPPY BIRTHDAY パーティである。


こんなサプライズなケーキも登場。谷眼科のハートのマークが乗っていて可愛い!こうやって素敵な仲間たちに祝っていただき、こんな嬉しい瞬間に恵まれるなんて。じわっとこみ上げるものを感じてしまい、感謝の気持ちでいっぱいになった。ありがとうございます!!

阪神淡路大震災直後の1995年5月に開院して、気がつけばもう16周年。街は見違えるように復興し、みんなで確実に成長してきている実感がある。明日からもがんばろう。そして、東北の震災復興が着実にすすむことを心より応援している。

正嘉(しょうか)の大地震

2011年5月20日

前回書いた仁和寺へ出かけた同じ日、その前に京都市美術館で開かれていた「親鸞展」を観た。展示の中に日蓮上人の「立正安国論」というのがあったのだが、一緒に行った友人が以前に仏教に興味を持って勉強していた頃にその対訳本を購入して持っている、と言って貸してくれた。鎌倉時代にも大地震があったようだと言っていたのが気になって借りて読んでみた。

すると、驚いたことに、正嘉(しょうか)元年、1257年2月から8月にかけ、京都、関東、そして鎌倉に連続して地震、台風、炎天などの大災害が起こっていた。特に8月の大地震の被害は甚大で、鎌倉の神社・仏閣はことごとく倒壊、山は崩れ民家は破壊し、土地は割れ青い炎が吹き上がり、死者は鎌倉だけでも2万人以上とされている。この惨状の中で民衆は家なく食なく、増加したのは乞食だけ。しかし当時の幕府の政治形態は、すべてが権力者中心で自己または一族の保身が優先されていた時代であって、社会的弱者の救済などは考えられてもいなかった。この状況下で、日蓮上人は、この災害について思索するため寺にこもって経典や論書等を研鑽し、立正安国論執筆の準備をしたとのことである。

また、しばらく前、テレビ番組で、鎌倉の大仏がなぜむき出しでそびえているのかを解説していた。鎌倉の大仏は、学生時代に友人と観に行ったので懐かしくなり解説に聞き入った。本来大仏は、社殿に安置されていたのが、室町時代の大地震と津波により建物が全壊し、大仏だけがむき出しで残ったそうである。柱などが倒壊した際に出来たキズが大仏の腕に残っている。

昨日5月19日の夕刊には、貞観(じょうがん)869年の大津波と5世紀の大津波の記事が掲載されていた。東北地方を過去2回巨大津波が襲い、海岸が沈降したそうである。日本という国には、はるか昔から現在に至るまで、大地震が長い間隔ではあるが定期的に訪れているのだということが今更ながら再認識させられる。すでに多くの人が、正嘉や貞観の大地震についてブログなどでさまざまに述べておられる。中には、今回の東日本大震災よりも前にこれらの地震について述べている人もいる。原発の安全対策には、過去の震災の教訓は生きていたのだろうか。

徒然なるままに

2011年5月8日

原発や火力発電どころか、電気そのもののなかった時代の空気を吸いに行くため、というわけでもないが、京都のお寺に行ってみた。御室の仁和寺。

中学のときに国語で習った徒然草に、仁和寺の和尚さんのことがでてきたな、と思い出す。岩清水八幡にまだ参拝したことがなかったのである時思い立って一人で出かけた和尚さん。山麓にあるいくつかの社寺を拝んでこれだけのものかと早合点して帰ってしまった。本堂は実は山の上にあったのに気づかないまま。なんでもないことでも案内者は大切である。

そんな気楽な面白い一節のあるお寺ではあるが、本来は、宇多天皇が完成させ、明治維新までは皇子皇孫が門跡となられた由緒ある寺院で、平成6年には世界遺産に登録されている。最初にくぐる二王門には左右に金剛力士が安置され力強い表情が目をひく。本堂は、応仁の乱で消失した後、京都御所の紫宸殿を移築した建物で、瓦葺きの優雅な建物である。敷地内の宸殿からは池を配した晴れやかな庭が眺められ、縁側に腰をおろすと池で遊ぶおしどりのつがいが可愛らしく目にとまった。

仁和寺のくだりしか覚えていないが、徒然草はどんなことが書かれていたのだろう、と思い、ふと現代語訳を手にとってみた。すると、かなり自由な発想で、おもしろいことが書かれているのにびっくりした。たとえば、こんなくだり。

「妻というものこそ、男の持ちたくない者ではある。・・どんな女であろうと、朝夕いっしょにいたら、うとましく憎らしくもなろう。・・別居してときどきかようて住むというのが、いつまでも長つづきする間柄ともなろう。ちょっとのつもりで来たのがつい泊まり込んでしまうのも、気分が変わってふたりには珍しくたのしかろう。」

このような一節は、中学時代の国語の授業では出てこなかったなあ。冒頭の早合点した和尚さんの話も、それが由緒ある門跡寺院の和尚さんの失敗というところが、当時の人々にはよけいに面白く読まれたのだと、今にしてみたら理解できる。電気のなかった時代の気持ちに戻って、おもしろいものをあれこれ発見できるのも、日本のよさであるなと思った。

追記:京都散策を俳句に詠んでみました。

「北山へ 遅日の夕に 足伸ばす」

哲也先生に、なおしていただいて、

「北山へ 遅日の足を 伸ばしけり」

なおしていただくと、ぐっと格調高くなる感じです。「の」の使い方ひとつ、そして「夕」を省くことでこんなに違ってくるのだとちょっと感動しました。

アナログとデジタル

2011年5月4日

娘と買い物中に突然訊かれた。「ママ、アナログって日本語に訳すと何?」あれっ。明治以来、日本人はありとあらゆる外来語を日本語に置き換えてきた。ベースボールを野球と訳した正岡子規しかり、オートモービルだってハイスクールだって、ほとんどが漢字の熟語で表現されている。しかし、アナログ・・・「パパのような人間のことを言うんだよね」、と、娘。いや、それはこの時代に携帯電話も持たない人間とかほとんどパソコンを使いこなさない人間とかいうことなどで二人の間では通じるが、一般的な説明にはならない。「時間を連続的に表す文字盤の時計みたいなのがアナログよね」、と、私。でも日本語訳というと・・。

辞書で引いてみると「物質・システムなどの状態を連続的に変化する物理量によって表現すること」あらら、こんな難しげな訳になるのか。では、デジタルを引いてみると、「物質・システムなどの状態を、離散的な数字・文字などの信号によって表現する方式」自然界のものごとは、通常連続的に変化すると思うので、この世の出来事はアナログ、それをシステム化させて理論的に整数に置き換えた世界がデジタルなのか、と思った。しかし「離散的」を引いてみると「「連続的な集合の部分集合がばらばらに散らばった状態であること。この集合を離散的部分中郷と呼ぶ。実数の中の整数全体がその例。量子力学では、物理量が離散的な値をとることが特徴」つまり、量子力学の世界では、デジタルが理論上だけのものでなく、自然界そのものであるのだ。

この世の自然界を小さく細かく分解していくと、量子力学というデジタルの世界に行き着くわけであるが、とはいえデジタルの感覚を持つ科学者が、デジタルの世界が全て正しくて万能だと思うのはちょっと怖い。アナログとデジタルの両方の感覚をバランスよく持ち合わせていきたい、などとふと思った。

追記:先日、仏文学者の先生が患者さんとして来られ、このモノローグを読んでくださっているとおっしゃってくださいました。そして、面白いことを教えてくれました。

「デジタルは、フランス語にもあります。digital 形容詞。意味は、1)指の 2)(コンピューターなどの)デジタルの。」

「指の」→「指で数えることができる」→「デジタル」となったようで、デジタルはやはり辞書でひいてもカタカナのままでした。仏文学の先生によると、カタカナ4文字はあまりに日本語にぴったりマッチするので、あえて熟語に置き換えないことがちょくちょくあるとのことでした。指的、とかあまりに変ですしね。

心療眼科

2011年4月4日

東日本大震災の被災者の方に衷心よりお見舞い申し上げます。多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。今のところ義援金の協力しか出来ていないのですが、新聞やテレビに報道される被災者の方々の姿を目にするたび深い悲しみがこみ上げ無力感につつまれます。

週末に、「心療眼科」の勉強会があり、普段講義を聴く機会がほとんどない、精神医学の先生によるレクチャーを受けました。その中で印象に残った話に、「これまでの精神医学は、人の性格や気質により病気の分類を試みようとしてきた。躁鬱気質や分裂気質などなど。しかしそれが、思い込みや先入観を招き、病気に対する正しいアプローチを邪魔していた。そして精神疾患の診断、治療にはパラダイムシフトが起こった。症状を固定観念ぬきに分析、分類することで世界共通のエビデンスに基づいた治療が始められるようになった。」というものがあります。クレッチマーなどの先人による気質の分類は、私たちが学生の時に真っ先に授業で習った内容ですが、今やそれが先入観として一旦退けられようとしています。例えば、うつ病に対して、以前ではその人の性格や発症原因などを探ることに重きを置かれていましたが、今ではCT で脳に起こっている変化を確認したり、有効な薬物治療が開始されるようになってきました。

思い込みや先入観により、固定観念が築かれ、思考停止になってしまう。ふと、今回の原発事故にもあてはまるのではと思えました。原発は安全であるとの過信。津波被害を受けた直後も、炉内は大丈夫であるとの思い込み。油断や思い込みがあってはならない、人類の存亡に関わる重大なところで、このようなことが起こりうるとは、人の英知の限界を思い知らされるような気がします。科学においても医学においても、過信による油断や思い込みは避けるべきで、当然、今ある原発と今後計画中の原発の安全性の見直しはしっかりやってほしいです。

つい、後ろ向きな気持ちになりがちな時ですが、前向きでいようと意識したいと思います。東北の方々は、大変なことですが、復興に向けて元気を出してほしいと切に願います。日本中、世界中の人々が声援を送っています。

画期的な新製品「OCT」を投入

2011年3月1日

昨年6月から2ヶ月間試用していた「OCT」という、網膜の断層写真を撮ることができる器械を昨年秋に購入し、すでに半年以上使っています。

造影剤を使わなくても、瞳を散大させなくても、その場で鮮明な断層写真が撮れる器械で、眼科診療に画期的な進歩をもたらしてくれています。

これまで、網膜は、正面から光をあて、前から観察するのみだったので、10層構造のどの部位で何が起こっているのか、詳細がわかりにくいことが多かったのですが、横断面を鮮やかに写すことにより、一目瞭然に病態が見え、飛躍的に情報を得られるようになりました。

特に、網膜上膜、黄斑円孔、黄斑浮腫、加齢黄斑変性、中心性漿液性網脈絡膜症などの疾患の観察にはとても有用です。これまで、正面からの観察に四苦八苦していたのが、横断面をカラーで見ることで、どこがどうなっていたかいっきにわかり感動的です。緑内障の診断にも有用で、視神経乳頭周囲の神経線維層の厚みを観察することで、神経線維のダメージを判断できます。

このようにして、器械の前に座ってカメラで撮影するだけで、5分もかからず検査をすることができます。

物がゆがんで見えたり、視力が落ちたりしている人、緑内障の疑いのある人などに、検査をおすすめしています。