アナログとデジタル

娘と買い物中に突然訊かれた。「ママ、アナログって日本語に訳すと何?」あれっ。明治以来、日本人はありとあらゆる外来語を日本語に置き換えてきた。ベースボールを野球と訳した正岡子規しかり、オートモービルだってハイスクールだって、ほとんどが漢字の熟語で表現されている。しかし、アナログ・・・「パパのような人間のことを言うんだよね」、と、娘。いや、それはこの時代に携帯電話も持たない人間とかほとんどパソコンを使いこなさない人間とかいうことなどで二人の間では通じるが、一般的な説明にはならない。「時間を連続的に表す文字盤の時計みたいなのがアナログよね」、と、私。でも日本語訳というと・・。

辞書で引いてみると「物質・システムなどの状態を連続的に変化する物理量によって表現すること」あらら、こんな難しげな訳になるのか。では、デジタルを引いてみると、「物質・システムなどの状態を、離散的な数字・文字などの信号によって表現する方式」自然界のものごとは、通常連続的に変化すると思うので、この世の出来事はアナログ、それをシステム化させて理論的に整数に置き換えた世界がデジタルなのか、と思った。しかし「離散的」を引いてみると「「連続的な集合の部分集合がばらばらに散らばった状態であること。この集合を離散的部分中郷と呼ぶ。実数の中の整数全体がその例。量子力学では、物理量が離散的な値をとることが特徴」つまり、量子力学の世界では、デジタルが理論上だけのものでなく、自然界そのものであるのだ。

この世の自然界を小さく細かく分解していくと、量子力学というデジタルの世界に行き着くわけであるが、とはいえデジタルの感覚を持つ科学者が、デジタルの世界が全て正しくて万能だと思うのはちょっと怖い。アナログとデジタルの両方の感覚をバランスよく持ち合わせていきたい、などとふと思った。

追記:先日、仏文学者の先生が患者さんとして来られ、このモノローグを読んでくださっているとおっしゃってくださいました。そして、面白いことを教えてくれました。

「デジタルは、フランス語にもあります。digital 形容詞。意味は、1)指の 2)(コンピューターなどの)デジタルの。」

「指の」→「指で数えることができる」→「デジタル」となったようで、デジタルはやはり辞書でひいてもカタカナのままでした。仏文学の先生によると、カタカナ4文字はあまりに日本語にぴったりマッチするので、あえて熟語に置き換えないことがちょくちょくあるとのことでした。指的、とかあまりに変ですしね。