正嘉(しょうか)の大地震

前回書いた仁和寺へ出かけた同じ日、その前に京都市美術館で開かれていた「親鸞展」を観た。展示の中に日蓮上人の「立正安国論」というのがあったのだが、一緒に行った友人が以前に仏教に興味を持って勉強していた頃にその対訳本を購入して持っている、と言って貸してくれた。鎌倉時代にも大地震があったようだと言っていたのが気になって借りて読んでみた。

すると、驚いたことに、正嘉(しょうか)元年、1257年2月から8月にかけ、京都、関東、そして鎌倉に連続して地震、台風、炎天などの大災害が起こっていた。特に8月の大地震の被害は甚大で、鎌倉の神社・仏閣はことごとく倒壊、山は崩れ民家は破壊し、土地は割れ青い炎が吹き上がり、死者は鎌倉だけでも2万人以上とされている。この惨状の中で民衆は家なく食なく、増加したのは乞食だけ。しかし当時の幕府の政治形態は、すべてが権力者中心で自己または一族の保身が優先されていた時代であって、社会的弱者の救済などは考えられてもいなかった。この状況下で、日蓮上人は、この災害について思索するため寺にこもって経典や論書等を研鑽し、立正安国論執筆の準備をしたとのことである。

また、しばらく前、テレビ番組で、鎌倉の大仏がなぜむき出しでそびえているのかを解説していた。鎌倉の大仏は、学生時代に友人と観に行ったので懐かしくなり解説に聞き入った。本来大仏は、社殿に安置されていたのが、室町時代の大地震と津波により建物が全壊し、大仏だけがむき出しで残ったそうである。柱などが倒壊した際に出来たキズが大仏の腕に残っている。

昨日5月19日の夕刊には、貞観(じょうがん)869年の大津波と5世紀の大津波の記事が掲載されていた。東北地方を過去2回巨大津波が襲い、海岸が沈降したそうである。日本という国には、はるか昔から現在に至るまで、大地震が長い間隔ではあるが定期的に訪れているのだということが今更ながら再認識させられる。すでに多くの人が、正嘉や貞観の大地震についてブログなどでさまざまに述べておられる。中には、今回の東日本大震災よりも前にこれらの地震について述べている人もいる。原発の安全対策には、過去の震災の教訓は生きていたのだろうか。