『院長のひとりごと』

梅の花が咲いて

2011年2月3日

今日の昼間の気温は7度くらいに上昇。天気もよく、ようやく寒さの峠が越しつつあることを感じました。

夫が昨年白梅の鉢を買って来て、この1年の間、2〜3日に一度の水やりを欠かさず大事に育てていたところ、見事に開花しました。丹精こめた甲斐ありです。

窓辺の陽光をあびて梅が咲いていると、いよいよ冬ともお別れが近づいてきたようでほっとします。この冬はほんとに寒かった!

こちらの枝は「さんしゅう」。江戸時代に中国から渡ってきた木で、正式名は中国名で「山茱臾(さんしゅゆ)というそうです。梅の香りに誘われる時期に黄色い小さな花をたくさんつけるとのこと。可愛らしい花です。「茱臾」とはグミのことで、秋にはグミのような赤い実がなり、食べられるとのこと。グミというとお菓子のことしか思い浮かびませんでした。お花を触ると、知らないことがいっぱいあることに気づかされます。

初句会

2011年1月11日

以前からお誘いを受けていながら、なかなか顔を出せなかった句会に、勇気を出して初めて参加してきました。俳句を作るのは、小学生以来のことです。お題はお正月。新年初めて起こったこと、見たものを詠んでくださいとのこと。新年はニュージーランドで迎えたので、旅の想い出を詠んでみました。

雲を突き 切り立つ山を背に 初日

午前5時50分の日の出に合わせて起きて、ホテルの前庭に出てみると、目の前にマウントクックの頂点が雲を突いて切り立っていて、後ろから、少し曇っていましたが初日が。

初空に マウントクック 聳え立つ

雨が多く、日本の数倍の降水量のあるこの地で、初めて見るマウントクックが、青空のもときりりと聳え立つのを見る事ができたのは、新年早々とても幸運でした。

初旅や 葉先に垂れる 猿おがせ

朝食後にマウントクックを眺めに付近をトレッキングした時、ガイドさんが猿おがせを指差しました。猿おがせは、綺麗な空気の深山の針葉樹に着生する樹状地衣類。薄黄色の枝分かれした糸状の体が枝葉から長く垂れ下がります。予選に選んでいただいた選者の五十嵐先生から「初旅で、珍しいものを見れましたね。」と言っていただきました。

家移りで 大回りした 賀状着く

一昨年に転居したため、宛先不明で差出人のところに帰っていた賀状も多く、出し直していただいたものが旅から帰ってきたころに手元に届き始めました。

旅の感動もさめやらないうちに詠んだので、楽しく作ることができました。あとで俳句作りの解説を見てみると、切れ字などの決まり事がうまく表現できていないなと反省しきり。少し勉強してみなくては。

サカサマの世界

2011年1月7日

お正月にニュージーランドへ行ってきました。さまざまな発見があり、一度には書ききれないのですが、まずはサカサマ世界のお話を。

南島のマウントクックを見晴すハミテージホテルにチェックインし、日没を待って星空鑑賞ツアーに出かけた時のことです。

まず見えた一番星は、北半球ではなかなか見られないと言われる木星。一等星級の明るい星が西の方に輝いています。北の空には、見覚えのあるオリオン座が。・・でも、なんだか違う感じです。なんと!オリオン座がサカサマになって輝いているのです。南の空に、待望の南十字星を見つけました。これも、写真で見るのとはサカサマで十字架がひっくり返ったかたちです。すぐにはその理由が浮かばず、思わずガイドさんに質問してしまいました。

その答えは・・実に単純なものです。地球が丸いから。言ってみれば、その時私たちは、北半球から見ている時とはサカサマになって星空を見ていたのです。不思議の国のアリスのさかさまの部屋に入り込んだみたいです。南半球では星座が上下サカサマに見えること、ニュージーランドに来るまでは意識していませんでした。

でも、見えた星座をサカサマだと言うのは、北半球の住民の勝手な見解で、南半球の人たちにとってはいつもの星座なわけです。一方的な見方をしてはいけない、と、戒められたような気分でした。

お正月用の生け花

2010年12月27日


学生時代に短い間でしたが家の近くの華道の先生のところでお稽古をしていました。その先生が眼科にいらしてくださったことがきっかけで、勇気をだして30年余りたって再び手ほどきをしていただくことに。まずは玄関にお正月用の生け花を飾ってみました。若松とピンポン菊と千両。それぞれの花の位置にはまだ改良の余地がありますが、ひとまず玄関にお正月らしいすがすがしい華やぎが添えられました。

教えてくださった先生は、貴答恵子先生。明治〜大正期に神戸から世界に羽ばたいた大商社、鈴木商店の大番頭だった金子直吉氏のお孫さんです。学生時代に通っていた頃は、そんなことは全く知らず、最近になってそれを知り驚きました。直吉氏が鈴木商店破綻の後に暮らした御影の家、というのが実家の近くの先生のお宅だったのです。鈴木商店の女社長を描いた玉岡かおるさんの小説「お家さん」の最後にも、貴答恵子先生のお名前が出てきます。

神戸が日本経済を牽引するほど元気だったあの頃が思われるように、貴答先生の話し振りやしぐさは溌剌とされていて、先生の指導で生けられた花たちもしゃんとした感じです。

町火消しの出初め式

2010年11月12日


小学校時代の同級生である友人がご自宅を片付けていて、珍しいものを見つけたと見せてくれました。

ご両親が30年前に浅草の助六という人形店で買われたとの記載のある火消し人形。纏と装束に「六番」と書いてあるのでちょっと調べてみました。

江戸時代、享保5年(1720年)に、隅田川から西を担当するいろは組47組と東の本所・深川を担当する16組の町火消しが設けられ、各組の目印として纏と幟が作られました。享保15年(1730年)にはいろは47組を一番組から十番組までの10の大組に分け、大纏を与えて統括し、より多くの火消し人足を火事場に集められるように改編されたとのことです。

町火消しは毎年正月の1月4日に、各組の町内で梯子乗りや木遣り歌を披露する初出を行いましたが、その始まりは万治2年1月4日(1659年2月25日)に江戸の上野東照宮で定火消しによって行われた出初めであったと伝えられています。明治維新後、明治8年1月4日に第一回東京警視庁消防出初式が行われましたが、その模様は歌川広重が明治8年に錦絵に描いていました。


火消し人形のモデルが、江戸時代の町火消しなのか、明治の東京警視庁なのか、作者に聴いてみないと謎です。

Ojja

2010年10月24日

9月に友人らと訪れた元町のスレストラン「カセント」が、一昨日発売のミシュランで三つ星を獲得しました。「そのために旅行する価値がある卓越した料理」とのコメントが載っています。料理のジャンルは、スペイン料理かと思っていましたが「フュージョン」とあります。タパスなどスペイン風の小皿が独創的に少量ずつアレンジされて並びましたが、フレンチぽくもありイタリアンぽくもあり、国境を越えた料理というわけなのですね。

メインディッシュのあとに出てきたのは「ヴァレンシア風おじや」これは、スペイン語で「Ojja」と書かれていました。「おじや」は鍋のあとの雑炊、純日本製の料理だとばかり思っていましたが、そうではなかったのです!スペインの「Ojja」が宣教師たちと一緒に海を渡ってきて日本に伝わったものだったのですね。

これがOjjaです。美味しそうにお皿に盛りつけられました。




おそらく同じ頃にスペインから渡ってきたキリシタンのグレゴリオ聖歌を、隠れキリシタンたちが今日まで歌いついできた祈りの言葉「おらしょ」。400年という時空を超えてこの祈りの歌を現代の合唱曲として千原英喜先生が作曲された「混声合唱のためのおらしょ」を今、所属している合唱団で歌っています。来週から合唱団は、スペインのバスク地方のトロサという町に旅立ち、国際コンクールのステージで、日本やバスクを始めとする様々な歌を歌います。今回、私は参加できなかったのですが、皆様のトロサでの健闘を心より応援しています♪

聴いてください、寿子先生

2010年10月1日

ひ弱な男とフワフワした女の国日本


1997年に発行され、興味深く読んだ本です。当世の日本人の中身に危機意識を感じ、クールな目線で切り込んでいます。

その1ページ目は、こう始まります。

「昨年(1996年)から今年(97年)にかけて、厚生省官僚の汚職がマスコミをにぎわした。日本に官僚の汚職はつきもので、今回の厚生省の汚職事件がとくにめずらしいということではなく・・・」岡光元事務次官が社会福祉施設への補助金交付などに便宜を図った謝礼として6000万円の賄賂を受け取った疑いで逮捕された事件のことです。

それから14年。政権も変わり、情報公開の大切さが浸透し始め、事業は仕分けされ、社会はどんな方向に動くのか、と期待も寄せつつあったというのに、また、汚職です。

今度は、医療機関に対する指導や監査のトップであるGメンが、コンタクト業者から監査を逃れるための賄賂を3000万受け取っていたのですから呆れる話です。いや、この14年の間も、厚労省が所管する国立感染症研究所の発注工事をめぐり、下請け受注業者から200万のわいろを受け取ったとして元会計課係長が逮捕されたり、昨年5月の障害者団体向け郵便割引制度悪用事件で係長が逮捕されたり、次々にいくつも不祥事がありました。当事者たちは、どうせ省庁とはこんなものだと認識しているのでしょうか。

不祥事が明るみにでれば、今後はこのようなことのないように努めますとか、特別監査チームを作って外部からもチェック機能を働かせますとかの声明が出されます。よくなっていくのだ、と、期待をしていると、こうやって裏切られてしまいます。

本の発行から13年。聴いてください、寿子先生。何も変わらない当世官僚気質。「フワフワした官僚の国日本」。

桜守公園

2010年9月1日

神戸市の125歳女性の所在不明問題で、再三その住所地とされる公園がテレビや新聞に出ていましたが、たまたま、今年の4月にお花見をした公園だったので驚きました。桜守公園と呼ばれるその公園は、水上勉の小説「桜守」の主人公にもなっている笹部新太郎さんの邸宅跡です。

約30年前にこの邸宅を神戸市で買い取って公園にする仕事をされたのは、当時神戸市の職員でいらした知人のY氏です。Y氏の執筆された本によると、昭和53年の暮に笹部新太郎さんが91歳で亡くなられ、その翌年に地元の方々からY氏らのところに屋敷跡を公園にしてもらいたいという話が寄せられたそうです。

その笹部邸には、樹齢十数年の桜の木が二本ありました。一本は笹部さんが全国から集めて来た桜の種の中から生えて、出生地不明のまま笹部さんがことのほか愛しておられた桜。もう一本は笹部さんが御母衣ダムの水没地から移植することに成功した庄川桜の枝をついで育てた庄川桜の分身の桜とのこと。笹部さんが74歳の時、ときの電源開発の総裁が岡本に住む笹部さんを訪ね、湖底に沈もうとする樹齢四百年の二本の桜を、湖底に家や畑を残して立ち退いて行く人々の想い出のために、困難な事業を承知で移植することを頼まれたそうです。

笹部さんの邸跡の公園化をすすめるY氏が、庄川桜のことなどを或る人に話したところ、その人は三年前の夏にそのそばを通りかかり、庄川桜の姿をながめてきたとのこと。その時、桜の周りには数十人の人が集まっていたそうです。何年かに一度、御母衣ダムで水没した人たちがそこに集まることになっていて、ちょうどその時に通り合わせ、彼らが抱き合って喜んでいる姿を見たのでした。笹部さんが十日がかりで谷底から引き上げた桜が、十年、二十年たっても庄川の人たちの心の故郷であり支えでありつづけていた、というのはとても感動的なことです。

笹部さんの邸の二本の桜をもとに、様々な種類の桜を植林してY氏たちが作り上げた岡本桜守公園。平成の今、思わぬところで記事に出てきて本当にびっくりしました。この公園は、笹部さんのお邸部分の南にあったお邸も合わせて作ったものとのこと。所在不明の女性が笹部さんのところのお手伝いさんではないかという記事もありましたが、年齢的に合わないそうで、おそらく、その南隣におられた方ではないかということでした。

鳩時計

2010年6月27日

谷眼科の待合室に、ドイツから鳩時計がやってきました。

「黒い森」と呼ばれる地方で作られた、ブレーメンの音楽隊をモチーフにした可愛い時計です。

錘がゆっくり下へ移動することで時が刻まれ、定刻になると人形が動き水車が回りオルゴールが鳴ります。

木のぬくもり感と優しい色使いを大切に作られた人形たちが目を楽しませてくれ、柔らかい音色が耳に心地よいです。

これを見つけたのは、谷眼科のすぐ西にあるドイツ製のおもちゃ屋さん「Wald」さんの展示場。

ご自宅の玄関脇を改造され、ディスプレイされている素敵な作品群に魅了され、お気に入りのひとつをいただくことになったのです。童話の世界から抜け出したような優しい雰囲気のご主人が、待合室に設置してくれました。

鳩の鳴き声とともに動き出す人形たちに、来院した子供さんたちは喜び大人たちは大いに癒されているようです。

6月がすぐそこに

2010年5月30日

玄関横のジューンベリーに可愛い赤い実がなりました。もう、6月がすぐそこまできています。


実の写真を撮っていると、ヒヨドリが3羽もやってきてぱくぱくとつつき始めました。美味しそうに食べるなあ。カメラを向けているというのにそしらぬ顔で食べ続けています。

すぐ横に咲いているのはクリスマスローズ。クリスマスの時期に咲く種類もあるのでこの名前がついたそうです。

茶色い実がつき始め、見頃を過ぎ始めたので、ちょっと慌てて花瓶に飾りました。

花の写真をもう一つ。一ヶ月前の4月29日に自宅で撮ったものですが、クレマチスが満開で、ピンク色の花を2階までつたわせて、壁面を可憐に飾ってくれていました。たった2本の茎から壁いっぱいの花を爛漫と咲きほこらせ、今月半ばまで目を楽しませてくれていました。