桜守公園

神戸市の125歳女性の所在不明問題で、再三その住所地とされる公園がテレビや新聞に出ていましたが、たまたま、今年の4月にお花見をした公園だったので驚きました。桜守公園と呼ばれるその公園は、水上勉の小説「桜守」の主人公にもなっている笹部新太郎さんの邸宅跡です。

約30年前にこの邸宅を神戸市で買い取って公園にする仕事をされたのは、当時神戸市の職員でいらした知人のY氏です。Y氏の執筆された本によると、昭和53年の暮に笹部新太郎さんが91歳で亡くなられ、その翌年に地元の方々からY氏らのところに屋敷跡を公園にしてもらいたいという話が寄せられたそうです。

その笹部邸には、樹齢十数年の桜の木が二本ありました。一本は笹部さんが全国から集めて来た桜の種の中から生えて、出生地不明のまま笹部さんがことのほか愛しておられた桜。もう一本は笹部さんが御母衣ダムの水没地から移植することに成功した庄川桜の枝をついで育てた庄川桜の分身の桜とのこと。笹部さんが74歳の時、ときの電源開発の総裁が岡本に住む笹部さんを訪ね、湖底に沈もうとする樹齢四百年の二本の桜を、湖底に家や畑を残して立ち退いて行く人々の想い出のために、困難な事業を承知で移植することを頼まれたそうです。

笹部さんの邸跡の公園化をすすめるY氏が、庄川桜のことなどを或る人に話したところ、その人は三年前の夏にそのそばを通りかかり、庄川桜の姿をながめてきたとのこと。その時、桜の周りには数十人の人が集まっていたそうです。何年かに一度、御母衣ダムで水没した人たちがそこに集まることになっていて、ちょうどその時に通り合わせ、彼らが抱き合って喜んでいる姿を見たのでした。笹部さんが十日がかりで谷底から引き上げた桜が、十年、二十年たっても庄川の人たちの心の故郷であり支えでありつづけていた、というのはとても感動的なことです。

笹部さんの邸の二本の桜をもとに、様々な種類の桜を植林してY氏たちが作り上げた岡本桜守公園。平成の今、思わぬところで記事に出てきて本当にびっくりしました。この公園は、笹部さんのお邸部分の南にあったお邸も合わせて作ったものとのこと。所在不明の女性が笹部さんのところのお手伝いさんではないかという記事もありましたが、年齢的に合わないそうで、おそらく、その南隣におられた方ではないかということでした。