『院長のひとりごと』

あっぱれ金魚!!

2015年4月22日

一昨日、池の金魚が亡くなりました。。娘が中学の時、神社の夜店の金魚すくいですくってきた2センチほどの和金が、金魚鉢で順調に成長。金魚8才、体調約10センチの時に庭の池にお引っ越し。引っ越してすぐは、池の中を金魚鉢ほどの小さい範囲でくるくる泳ぐばかりでしたが、だんだん慣れてきて鯉と一緒に悠然と回遊するように。いつしか体長30センチまで成長し、どこから見ても鯉の風格に。享年14才。よくここまで長生きしました!我が金魚ながらあっぱれ!!調べてみると、和金の寿命は8年から15年、体長は20センチくらいに成長するそうです。立派に天寿を全うしました。天国でも元気でね。

ラジオ関西「三上公也の情報アサイチ!」無事に出演してきました

2015年4月17日

昨日は、ラジオ関西「三上公也の情報アサイチ!」ゲスト出演のために朝8時過ぎにハーバーランドの海が見えるスタジオへ。「この時期の目のトラブルのおはなし」というテーマで、パーソナリティの三上公也アナと池田奈月さんと静かな部屋にて放送開始。聴いて下さる方にわかりやすいように、また、楽しく聴いていただけるようにがんばるぞっ!三上アナが「ラジオは何か喋っていないと音がなくなります」とおっしゃられましたが、その通り、ここは3人の話す声のみの静かな空間。でも、決して私が一人で説明口調で話をするのではなく、三上アナが絶妙に質問を入れてくれ、また、奈月さんが相づちやつっこみや、はたまた親父ギャグへの反応をしてくれて、自然な流れで進行することが出来ました。スタジオ初体験の私をこのように見事にリードしてくれるとはさすがだと感心してしまいました。

話の内容は、ほぼ前回の投稿で前置きしたとおり。しかし予期せぬつっこみや質問であれこれ話はふくらみ、跳んでいってまた戻り、生放送ならではのスリルに満ちた展開で、あっという間に予定の20分が終了しました。しかもぴったり20分ちょうどで話はうまく着地。ラジオの魅力を改めて味わうことの出来た貴重な体験でした。放送を一人でも多くの方に聴いて楽しんでいただけていれば嬉しいです。三上さん、奈月さん、お世話いただいたラジオ関西スタッフの小野田さん始め皆様、どうもありがとうございました!

ラジオ関西「三上公也の情報アサイチ!」にゲスト出演させていただきます

2015年4月9日

新しい仕事を引き受けたり、Facebookに日記のような投稿を始めたりしているうちに、ホームページのモノローグ更新が滞っておりました。

さて、ひょんなことから、来週の今日、4月16日(木)午前9時〜9時20分に、ラジオ関西(558kHz)「三上公也の情報アサイチ!」にゲスト出演させていただくことになりました。内容は主に、花粉症とドライアイの話です。

まずは、花粉症。花粉症は、抗原となる花粉が目やノドなどの粘膜から入り、「感作」が起こることから始まります。「感作」というのは、抗原に対して「IgE抗体」という抗体がリンパ球から大量に作られ、抗原との反応を起こす準備状態をつくる段階です。リンパ球がいちいち抗原をやっつけに行けないため、孫悟空が分身の術を使うように「IgE」と呼ばれる抗体を作って粘膜下に送り出すのです。この段階ではまだ花粉症は発症していません。抗体の量が限度を超えると花粉症を発症してしまいます。この時、IgE抗体は「肥満細胞」という名のリンパ球にキャッチされ、そこに花粉がつくと肥満細胞からヒスタミンという化学物質が放出され、これにより花粉症の症状が出現してしまうのです。花粉症の症状をなるべくおさえるにはどうしたらよいのかについて、お話させていただこうと思います。



花粉の飛散量が多い日は、花粉防護用の眼鏡やマスク、帽子が効果的です。衣服は綿や化繊などつるつるのものには花粉が付着しにくく、羊毛系は付着しやすいです。通勤、通学などお出かけの5分前に比較的即効性の効果のある抗ヒスタミン剤点眼を使用すると症状を軽減できます。帰宅後はすぐい顔や手、目のまわりを洗い、うがいをし、コンタクトをつけている人ははずすようにしましょう。

花粉症予防には、免疫力を正常に保つことが大切で、睡眠のリズムを整え暴飲暴食を控えましょう。最近、アレルギー発症に腸内細菌が関わっていることがわかってきています。腸内の善玉菌を増やすよう、食物繊維を十分にとれるバランスのよい食事を心がけましょう。

花粉症よもやま話ですが、阪神間など西日本では、開発後の土地の緑化のため「オオバヤシャブシ」という樹木が植栽されていました。谷筋のハイキングコース沿いなどに多く生育しています。菌類と混生するため、痩せた土地でも比較的生長が早いため、砂防ダムの法面などにも多く導入されてきました。近年、ヤシャブシがスギより強力な花粉症の原因になり、果物アレルギーも合併することがわかってきました。宝塚市の中山台では住民によるオオバヤシャブシ伐採が進み、1994年からヒペリカム、ナンテン、ラベンアーなどの潤い地区が作られました。神戸でも企業や市民グループの方々などが伐採を行い、ヤシャブシの花粉症を減らすことが出来ました。スギ花粉症に対しても、伐採や花粉の少ない品種への改良などが行われていますが、効果が現れるのはまだ先の話のようです。

次に、ドライアイの話。ドライアイの症状を楽にするには、目を温めることが効果があると言われています。実際の治療の中心は目薬をさすことになります。これまで、人口涙液や保湿性のあるヒアルロン酸製剤が使われていましたが、最近、新しい点眼が登場し治療効果が向上しています。目の表面は「涙」と「粘膜」で常に潤っています。「涙」は水分とムチンが混じっている液層の上を油分が覆って蒸発を防いでいる二層構造をしています。ムチンが減ると涙の質が悪くなり目が乾きやすくなります。新しい点眼薬には、水分とムチンを増やす作用があるものや、粘膜を修復・保護する作用があるものがあり、涙の質を改善させ角膜の障害を治す効果が期待されます。

昨年11月15日(土)の神戸新聞「兵庫の医療」のページで、新しい点眼による涙液の層別治療について解説させていただいています。
http://www.taniganka.com/publish/images/201411kobeshinbun.jpg

母校の閉校

2014年1月9日

私の出身小学校である神戸大学附属住吉小学校が、平成26年3月10日の卒業式をもって閉校することになりました。閉校が正式に決まった6年前に1年生だった子たちが卒業する日です。私が入学した昭和40年には、木造2階建ての校舎が南北に3棟、渡り廊下で連なった学校でしたが、5年生の時に現在の鉄筋コンクリートの白い校舎に建て代わりました。小学時代の思い出の多くは、木造の校舎と校庭にあるように思います。入学式の日に正面でどーんと迎えてくれた大きな楠、涼しげな藤棚、校庭で遊んだ素朴な遊具。こわごわ滑った底なしすべり台や、かみつくと怖いすっぽんがいると脅かされた丸池やひょうたん池。すでになくなっていたのに、母校の閉校とともに目に浮かぶのは昔の光景です。

閉校にともない、先週末に、お世話になった先生方をお招きし、学年同窓会を開きました。小学校の恩師3名、中学校の恩師2名の先生に参加していただき、懐かしさで胸がいっぱいになりました。小学3、4年を担任してくださった谷口寛二先生は、当時のアルバムを持参くださいました。担任していただいた2年間の様々な場面を、丁寧なメモをつけて残して下さっておりびっくりしました。写真中央は小学4年の時の私、仲良しの友人と遠足を楽しんでいるところです。さらに、卒業のときから現在まで毎年先生に送っていた年賀状のうち子供らの写真入りのものなどを見やすくケースに保管してくださっており、一緒に持参していただきもっとびっくり。転居の際などに私自身も見失っていた賀状がきちんと並べて保存されており、写メで撮影させていただきました。恩師との心暖まるつながりに新年早々感動させられました。



閉校の翌週に行われる式典では、附属住吉小出身の大先輩である、ノーベル化学賞受賞の野依良治博士による講演や後輩のバイオリニストによる演奏など行われますが、卒業生の人数が膨大なため参加するのは難しそうです。学校見学などでの受け入れを検討してくださっているとのことでした。

灘区民ホールでの「歌と落語の企画」ご案内

2013年9月26日



5年前、灘区医師会設立60周年記念祝賀会のアトラクションにて、灘区の松本医院、松本治朗先生が、素晴らしいオリジナル落語を披露され、その後、松本先生の奥様と一緒に歌を歌わせていただきました。

この時のご縁がつながり。このたび、松本先生御夫妻たちの企画される「音と笑いのおもちゃ箱」にまたまた参加させていただくことになりました♪

今回、歌わせていただくのは、オペラ蝶々夫人から「ある晴れた日に」、そして、小林秀雄作曲の日本の歌「落葉松」の2曲で、素敵なピアニストの蜷川千佳さんに伴奏していただくことになりました。

松本治朗先生の、プロはだしのオリジナル落語はいつも素晴らしく、また、奥様の孝巨さんの本格派アリアには心地よく癒されます。

10月というと、関西合唱コンクールが中旬にあり、練習に熱が入ってくる時期です。通勤の車内で、また、休み時間にCDを聴いて自主練に励んだり。そして、19日(土)に向けての練習も夜な夜な声を張り上げて・・すでに気分は芸術の秋に浸りつつあります。

「落葉松(からまつ)」は、野上彰という詩人が軽井沢で書いた詩に、小林秀雄が感銘を受け作曲した作品です。野上彰は、「オリンピック賛歌」の日本語歌詞も訳詞しており、来る東京オリンピックでも歌われるかもしれません。

落葉松の秋の雨にわたしの手がぬれる  落葉松の夜の雨にわたしの心がぬれる

落葉松の陽のある雨にわたしの思い出がぬれる  落葉松の小鳥の雨にわたしの乾いた目がぬれる



軽井沢には、たくさんの落葉松が植林されています。そして秋になると黄色く色づいた落葉松に細かい霧雨が降りそそぎます。その光景に少し触れてみるため、というわけでもないですが、連休に軽井沢へ行き、落葉松の林をもとを歩いてきました。帰る日の夜には、霧雨が降り、歌詞の情景に少しばかり触れたような気持ちになりました。

10月19日(土)午後4時より、灘区民ホール5Fマリーホールで開きます「音と笑いのおもちゃ箱」、お時間ある方は是非いらしていただければ嬉しいです。入場無料です。

初めてのコミュニケーション

2013年3月29日


生後2ヶ月になった初孫の共輝くん。つい2〜3週間くらい前まではぼーっと前を見ていただけだったのですが、この日は母親の目を認識して語りかけるような表情を。視覚の原点は「母親の目線」ですね。初めてのコミュニケーションは母親との語らいです。この月齢のベビーの目は遠くは見えておらず、抱っこしてくれている母親の目あたりが一番よく見えています。誰も教えていないのに自然な笑顔をたたえ、エクボを作って可愛いレスポンスをする姿はまさに天使みたいです。

アンコールワット

2013年1月27日

2013年の元旦はアンコールワット遺跡で迎えました。初日の出は残念ながら曇りでかすんでしまいましたが、日がすっかり昇りきると水面に写る左右対称の荘厳な寺院の姿がはっきりと現れ、神秘的なムードに包まれました。


12世紀前半、インド文明に憧れたアンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンズー教の寺院として30年を越える歳月を費やし建立されました。入り口ではシンハ(獅子)像がこま犬のように鎮座し、堀の欄干にはナーガという蛇神がいたるところに頭をもたげています。門にはヴィシュヌ神が立ちヒンズーの世界に招き入れてくれます。

砂岩とラテライトで築かれた伽藍の回廊の壁は、古代インドの叙事詩である「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」を描いたレリーフが、絵本を見るようなストーリー展開で埋め尽くされています。ちょうど日本でいうところの昔話の桃太郎のような存在だそうです。


わずかに残っている赤い色はうるしの色で、当時は壁も天井も鮮やかな赤に塗られていたとのこと。そんな華麗なヒンズー寺院も1431年頃にはアンコールからプノンペンに王都が遷るとともに一時は忘れ去られますが、1500年代に再発見され、今度は仏教寺院として改修されます。12世紀にはヒンズー教が信じられていましたが、この時代の王は仏教を信奉していたのです。このため廊下や祠堂には数々の仏像が。1632年には日本人の森本右近大夫一房という人がはるばる参拝し、壁面に墨書を残しています(つまり落書きです)。「御堂を志し数千里の海上を渡り」「ここに仏四体を奉るものなり」と記されています。何故、江戸時代に日本人がここに?!

江戸幕府三代将軍徳川家光は、長崎のオランダ語の通訳・島野兼了にインドの仏教の聖地「祇園精舎」の視察を命じました。その頃、プノンペンの日本人町の人達はアンコールワットが祇園精舎であると誤認していた為、その誤った情報が日本にも伝えられ、大勢の日本人が祇園精舎の参詣としてアンコール・ワットへ出かけていたそうです。それにしても、平家物語の冒頭の「祇園精舎」がインドの聖地であったということを今回の旅で初めて認識しました。

落書きをした森本右近大夫一房とは別のある人物が、インド「祇園精舎」であると思い込んだままアンコール・ワットを視察し、一枚の「見取図」を作成。それが当時の長崎奉行・藤原忠義によって正徳5年 (1715年) に模写され、その後所有者の変遷はあったものの『祇園精舎図』と題された古地図は、今も彰考館(茨城県・水戸市)に保存されているそうです。この見取図は明治末期になって、鑑定の結果、全体構造から推してアンコール・ワットの見取図であることが判明しました。江戸時代からの日本との関わりにびっくりさせられます。

しかし、そのアンコールワットは、1972年、カンボジア内戦によって建物の一部が破壊され、この時に多くの奉納仏は頚を撥ねられ砕かれ敷石にされたそうです。クメール・ルージュは政権を追われるとアンコールワットに落ちのび、祠堂の各所に置かれた仏像はさらなる破壊を受けています。内戦が収まりつつある1992年にようやく地雷もほとんど取り除かれ、アンコール遺跡として世界遺産に登録され、1993年にはこの寺院を描いた国旗がカンボジア国旗として制定されました。まだちょうど20年しかたっていません。すっかり平和な日本から海を渡って内戦の弾痕の残る遺跡を歩き、一ヶ月もしないうちにアルジェリアでの悲惨なテロが勃発しました。世界が安定するのは、まだまだ遠い先なのかと正月早々やりきれない気分です。

兵庫県救急救命士養成所

2012年11月29日

今日は、兵庫県救急救命士養成所にて「視覚器の構造・機能と外傷・疾患」の講義を行ってきました。養成所は三木にあります。山陽道をドライブする車窓からは紅葉を楽しむことが出来ました。

半年後に国家試験を受験する予定の現役の救急隊長・隊員46名の方々に熱心に受講していただきました。過日の姫路市の化学工場爆発事故にて殉職された消防士さんも数年先にはこの席に受講しに来られる予定であったと伺い大変胸が痛みます。私の息子と同い年でした。

受講生の平均年齢は35歳。今日お会いした46名の受講生の方々が立派な救急救命士になられることを祈っています。

オペラ「ラダミスト」

2012年10月4日

台風17号が列島を縦断した9月30日(日)、午後から増してきた風雨の中、伊丹アイフォニックホールにヘンデル作曲のオペラ「ラダミスト」の日本での初演を観てきました。

主役のトラキアの王子ラダミストを演じたのは、兵庫県眼科女医会でも歌を披露していただいたことのある松岡万希さん。あのときは女性らしい優雅な独唱を聴かせていただきましたが、今回は凛々しい王子役。表情も険しく勇ましく、力強さがみなぎっていました。ラダミストの姉の役を演じたのは神戸市灘区在住の老田裕子さん。美しい王妃の役を華麗に演じられていました。二人とも各種コンクールでの一位入賞の経歴をもつ実力派で、劇場を豊かな声量で震わせてくれました。

舞台は、1世紀半ば頃のアルメニアとトラキア。当時のこれら王国はとても栄えていましたが世界地図の中でどこにあるのか実感がわかないまま観劇していました。ところが、今週の始めにアルメニアの防災関係の機関から6人の幹部が神戸に来られていたということを偶然に知り、ちょっとアルメニアという国に興味を覚えました。オスマントルコやソ連の支配、隣国のトルコやアゼルバイジャンとの厳しい対立を経てわずか21年前に独立を成し遂げた国で、私が高校時代に世界史を習っていた頃にはまだ独立していませんでした。コニャックやワインが美味しい国のようです。古代の王国に思いを馳せつつ、お酒とともにアルメニア料理を食べてみたいですが、神戸にはまだアルメニア料理の店はないようでした。

紛争地帯

2012年9月3日

シリアでの紛争取材中にジャーナリストの日本人女性が攻撃を受け亡くなる事件が起こった。いたましいことである。異民族同士の殺戮は島国日本では実感することはほとんど出来ないのだが、今年のお盆休みに、ボスニアヘルツェゴビナとクロアチアを旅行した折、わずかではあるが争いの歴史に触れてきた。

ボスニアヘルツェゴビナのモスタルという中心都市の渓谷を流れるネトレヴァ川にかかる美しい橋、スタリ・モスト。1970年に撮影された写真である。ここは15世紀中頃にオスマン帝国の支配下に置かれてからは軍事の要衝としても発展してきた。

1991年に勃発したユーゴスラビア紛争にともなうユーゴ解体の動きの中で、1992年年3月にボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言。ボシュニャク人・セルビア人・クロアチア人の異なる民族間の対立が深刻化し、およそ3年半以上にわたり全土で戦闘が繰り広げられた。死者20万、難民・避難民200万が発生したほか、ボシュニャク人女性に対するレイプや強制出産などが行われたという。そして・・

1993年の写真。スタリ・モストは破壊されてしまっている。爆撃され、壊れ落ちる瞬間の映像も残っていて、橋のそばの映写室にて上映されている。映像を観ながら戦闘の激しさに思わず涙ぐんでしまった。その後ユネスコや民間からの援助で橋は往事のままに復元され、2004年に完成。周辺一帯は2005年に世界遺産に登録された。復元の完成儀式にはイギリスのチャールズ皇太子も参加、テープカットを行う姿が映像に残っている。


スタリ・モストからは美しい渓谷の街を一望できる。民族融和の象徴とされる橋を観ながら、平和のありがたさを実感した。そして、帰国して間もなくジャーナリスト山本さんの死が報じられた。竹島問題、尖閣問題も熱をもってきている。紛争を経験し平和を得たボスニアの人々の目にはどのように映っているのだろうか。