白虎隊自刃の地にポンペイ遺跡の柱が

今年のGWは、山形県・福島県をレンタカーで巡ってきました。恵まれた好天のもと、山形の立石寺に始まり、上杉神社、五色沼、会津若松鶴ヶ城などを訪れてみました。
会津といえば戊辰戦争。そして白虎隊。10代の若者19名が、飯盛山に集まった際に鶴ヶ城付近から上がる煙をみて落城と思い込んで切腹して果てました。
白虎隊は、会津藩の15~16才の若者から成る予備兵としての組織ですが、戦闘が激しさを増すとともに、自らも戦いたいとの嘆願書を家老に差し出していたのです。

そして、驚いたのは、この話に心を打たれたイタリアの地より、ポンペイ遺跡の古代円柱が飯盛山に贈られ、記念碑としてそびえていたことでした。
ポンペイといえば、紀元79年のベスビオ火山の噴火により高さ6メートル以上の火山灰埋もれた町で、200年ほど前に奇跡的に発掘されました。
昨年、その遺跡を訪れてきたのですが、ローマ時代の古代にすでに色彩豊かな絵画の飾られた優雅な邸宅や上下水道、馬車の車道と両サイドの歩道などの高度な文明が展開していたことに驚かされました。
その邸宅の円柱が、会津若松の飯盛山に記念碑として贈られていたとは。送り主は、悪名高いあのムッソリーニでした。この際しばらく彼の思想の問題は置いておきましょう。
ムッソリーニは、白虎隊の精神に熱く感動し、1928年に彼らをたたえてローマの一市民としてこの石碑を贈ったのでした。
上部には右足にマサカリを持った鷲が羽を広げています。碑文には「文明の母なるローマは白虎隊勇士の遺烈に不朽の敬意を捧げんがため、永遠偉大の証したる千年の古石柱を贈る」と記され、また裏面には
「武士道の精華に捧ぐ、ローマ元老院と市民より」と刻されています。
白虎隊士の勇姿を偲ぶため自刃の地を訪れたのですが、その精神がはるかイタリアの人々の感動を呼んでいたのだということに、二重の感慨を抱いてしまいました。

ポンペイ遺跡の柱