紛争地帯

シリアでの紛争取材中にジャーナリストの日本人女性が攻撃を受け亡くなる事件が起こった。いたましいことである。異民族同士の殺戮は島国日本では実感することはほとんど出来ないのだが、今年のお盆休みに、ボスニアヘルツェゴビナとクロアチアを旅行した折、わずかではあるが争いの歴史に触れてきた。

ボスニアヘルツェゴビナのモスタルという中心都市の渓谷を流れるネトレヴァ川にかかる美しい橋、スタリ・モスト。1970年に撮影された写真である。ここは15世紀中頃にオスマン帝国の支配下に置かれてからは軍事の要衝としても発展してきた。

1991年に勃発したユーゴスラビア紛争にともなうユーゴ解体の動きの中で、1992年年3月にボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言。ボシュニャク人・セルビア人・クロアチア人の異なる民族間の対立が深刻化し、およそ3年半以上にわたり全土で戦闘が繰り広げられた。死者20万、難民・避難民200万が発生したほか、ボシュニャク人女性に対するレイプや強制出産などが行われたという。そして・・

1993年の写真。スタリ・モストは破壊されてしまっている。爆撃され、壊れ落ちる瞬間の映像も残っていて、橋のそばの映写室にて上映されている。映像を観ながら戦闘の激しさに思わず涙ぐんでしまった。その後ユネスコや民間からの援助で橋は往事のままに復元され、2004年に完成。周辺一帯は2005年に世界遺産に登録された。復元の完成儀式にはイギリスのチャールズ皇太子も参加、テープカットを行う姿が映像に残っている。


スタリ・モストからは美しい渓谷の街を一望できる。民族融和の象徴とされる橋を観ながら、平和のありがたさを実感した。そして、帰国して間もなくジャーナリスト山本さんの死が報じられた。竹島問題、尖閣問題も熱をもってきている。紛争を経験し平和を得たボスニアの人々の目にはどのように映っているのだろうか。