『院長のひとりごと』

徒然なるままに

2011年5月8日

原発や火力発電どころか、電気そのもののなかった時代の空気を吸いに行くため、というわけでもないが、京都のお寺に行ってみた。御室の仁和寺。

中学のときに国語で習った徒然草に、仁和寺の和尚さんのことがでてきたな、と思い出す。岩清水八幡にまだ参拝したことがなかったのである時思い立って一人で出かけた和尚さん。山麓にあるいくつかの社寺を拝んでこれだけのものかと早合点して帰ってしまった。本堂は実は山の上にあったのに気づかないまま。なんでもないことでも案内者は大切である。

そんな気楽な面白い一節のあるお寺ではあるが、本来は、宇多天皇が完成させ、明治維新までは皇子皇孫が門跡となられた由緒ある寺院で、平成6年には世界遺産に登録されている。最初にくぐる二王門には左右に金剛力士が安置され力強い表情が目をひく。本堂は、応仁の乱で消失した後、京都御所の紫宸殿を移築した建物で、瓦葺きの優雅な建物である。敷地内の宸殿からは池を配した晴れやかな庭が眺められ、縁側に腰をおろすと池で遊ぶおしどりのつがいが可愛らしく目にとまった。

仁和寺のくだりしか覚えていないが、徒然草はどんなことが書かれていたのだろう、と思い、ふと現代語訳を手にとってみた。すると、かなり自由な発想で、おもしろいことが書かれているのにびっくりした。たとえば、こんなくだり。

「妻というものこそ、男の持ちたくない者ではある。・・どんな女であろうと、朝夕いっしょにいたら、うとましく憎らしくもなろう。・・別居してときどきかようて住むというのが、いつまでも長つづきする間柄ともなろう。ちょっとのつもりで来たのがつい泊まり込んでしまうのも、気分が変わってふたりには珍しくたのしかろう。」

このような一節は、中学時代の国語の授業では出てこなかったなあ。冒頭の早合点した和尚さんの話も、それが由緒ある門跡寺院の和尚さんの失敗というところが、当時の人々にはよけいに面白く読まれたのだと、今にしてみたら理解できる。電気のなかった時代の気持ちに戻って、おもしろいものをあれこれ発見できるのも、日本のよさであるなと思った。

追記:京都散策を俳句に詠んでみました。

「北山へ 遅日の夕に 足伸ばす」

哲也先生に、なおしていただいて、

「北山へ 遅日の足を 伸ばしけり」

なおしていただくと、ぐっと格調高くなる感じです。「の」の使い方ひとつ、そして「夕」を省くことでこんなに違ってくるのだとちょっと感動しました。

アナログとデジタル

2011年5月4日

娘と買い物中に突然訊かれた。「ママ、アナログって日本語に訳すと何?」あれっ。明治以来、日本人はありとあらゆる外来語を日本語に置き換えてきた。ベースボールを野球と訳した正岡子規しかり、オートモービルだってハイスクールだって、ほとんどが漢字の熟語で表現されている。しかし、アナログ・・・「パパのような人間のことを言うんだよね」、と、娘。いや、それはこの時代に携帯電話も持たない人間とかほとんどパソコンを使いこなさない人間とかいうことなどで二人の間では通じるが、一般的な説明にはならない。「時間を連続的に表す文字盤の時計みたいなのがアナログよね」、と、私。でも日本語訳というと・・。

辞書で引いてみると「物質・システムなどの状態を連続的に変化する物理量によって表現すること」あらら、こんな難しげな訳になるのか。では、デジタルを引いてみると、「物質・システムなどの状態を、離散的な数字・文字などの信号によって表現する方式」自然界のものごとは、通常連続的に変化すると思うので、この世の出来事はアナログ、それをシステム化させて理論的に整数に置き換えた世界がデジタルなのか、と思った。しかし「離散的」を引いてみると「「連続的な集合の部分集合がばらばらに散らばった状態であること。この集合を離散的部分中郷と呼ぶ。実数の中の整数全体がその例。量子力学では、物理量が離散的な値をとることが特徴」つまり、量子力学の世界では、デジタルが理論上だけのものでなく、自然界そのものであるのだ。

この世の自然界を小さく細かく分解していくと、量子力学というデジタルの世界に行き着くわけであるが、とはいえデジタルの感覚を持つ科学者が、デジタルの世界が全て正しくて万能だと思うのはちょっと怖い。アナログとデジタルの両方の感覚をバランスよく持ち合わせていきたい、などとふと思った。

追記:先日、仏文学者の先生が患者さんとして来られ、このモノローグを読んでくださっているとおっしゃってくださいました。そして、面白いことを教えてくれました。

「デジタルは、フランス語にもあります。digital 形容詞。意味は、1)指の 2)(コンピューターなどの)デジタルの。」

「指の」→「指で数えることができる」→「デジタル」となったようで、デジタルはやはり辞書でひいてもカタカナのままでした。仏文学の先生によると、カタカナ4文字はあまりに日本語にぴったりマッチするので、あえて熟語に置き換えないことがちょくちょくあるとのことでした。指的、とかあまりに変ですしね。

心療眼科

2011年4月4日

東日本大震災の被災者の方に衷心よりお見舞い申し上げます。多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。今のところ義援金の協力しか出来ていないのですが、新聞やテレビに報道される被災者の方々の姿を目にするたび深い悲しみがこみ上げ無力感につつまれます。

週末に、「心療眼科」の勉強会があり、普段講義を聴く機会がほとんどない、精神医学の先生によるレクチャーを受けました。その中で印象に残った話に、「これまでの精神医学は、人の性格や気質により病気の分類を試みようとしてきた。躁鬱気質や分裂気質などなど。しかしそれが、思い込みや先入観を招き、病気に対する正しいアプローチを邪魔していた。そして精神疾患の診断、治療にはパラダイムシフトが起こった。症状を固定観念ぬきに分析、分類することで世界共通のエビデンスに基づいた治療が始められるようになった。」というものがあります。クレッチマーなどの先人による気質の分類は、私たちが学生の時に真っ先に授業で習った内容ですが、今やそれが先入観として一旦退けられようとしています。例えば、うつ病に対して、以前ではその人の性格や発症原因などを探ることに重きを置かれていましたが、今ではCT で脳に起こっている変化を確認したり、有効な薬物治療が開始されるようになってきました。

思い込みや先入観により、固定観念が築かれ、思考停止になってしまう。ふと、今回の原発事故にもあてはまるのではと思えました。原発は安全であるとの過信。津波被害を受けた直後も、炉内は大丈夫であるとの思い込み。油断や思い込みがあってはならない、人類の存亡に関わる重大なところで、このようなことが起こりうるとは、人の英知の限界を思い知らされるような気がします。科学においても医学においても、過信による油断や思い込みは避けるべきで、当然、今ある原発と今後計画中の原発の安全性の見直しはしっかりやってほしいです。

つい、後ろ向きな気持ちになりがちな時ですが、前向きでいようと意識したいと思います。東北の方々は、大変なことですが、復興に向けて元気を出してほしいと切に願います。日本中、世界中の人々が声援を送っています。

画期的な新製品「OCT」を投入

2011年3月1日

昨年6月から2ヶ月間試用していた「OCT」という、網膜の断層写真を撮ることができる器械を昨年秋に購入し、すでに半年以上使っています。

造影剤を使わなくても、瞳を散大させなくても、その場で鮮明な断層写真が撮れる器械で、眼科診療に画期的な進歩をもたらしてくれています。

これまで、網膜は、正面から光をあて、前から観察するのみだったので、10層構造のどの部位で何が起こっているのか、詳細がわかりにくいことが多かったのですが、横断面を鮮やかに写すことにより、一目瞭然に病態が見え、飛躍的に情報を得られるようになりました。

特に、網膜上膜、黄斑円孔、黄斑浮腫、加齢黄斑変性、中心性漿液性網脈絡膜症などの疾患の観察にはとても有用です。これまで、正面からの観察に四苦八苦していたのが、横断面をカラーで見ることで、どこがどうなっていたかいっきにわかり感動的です。緑内障の診断にも有用で、視神経乳頭周囲の神経線維層の厚みを観察することで、神経線維のダメージを判断できます。

このようにして、器械の前に座ってカメラで撮影するだけで、5分もかからず検査をすることができます。

物がゆがんで見えたり、視力が落ちたりしている人、緑内障の疑いのある人などに、検査をおすすめしています。

梅の花が咲いて

2011年2月3日

今日の昼間の気温は7度くらいに上昇。天気もよく、ようやく寒さの峠が越しつつあることを感じました。

夫が昨年白梅の鉢を買って来て、この1年の間、2〜3日に一度の水やりを欠かさず大事に育てていたところ、見事に開花しました。丹精こめた甲斐ありです。

窓辺の陽光をあびて梅が咲いていると、いよいよ冬ともお別れが近づいてきたようでほっとします。この冬はほんとに寒かった!

こちらの枝は「さんしゅう」。江戸時代に中国から渡ってきた木で、正式名は中国名で「山茱臾(さんしゅゆ)というそうです。梅の香りに誘われる時期に黄色い小さな花をたくさんつけるとのこと。可愛らしい花です。「茱臾」とはグミのことで、秋にはグミのような赤い実がなり、食べられるとのこと。グミというとお菓子のことしか思い浮かびませんでした。お花を触ると、知らないことがいっぱいあることに気づかされます。

初句会

2011年1月11日

以前からお誘いを受けていながら、なかなか顔を出せなかった句会に、勇気を出して初めて参加してきました。俳句を作るのは、小学生以来のことです。お題はお正月。新年初めて起こったこと、見たものを詠んでくださいとのこと。新年はニュージーランドで迎えたので、旅の想い出を詠んでみました。

雲を突き 切り立つ山を背に 初日

午前5時50分の日の出に合わせて起きて、ホテルの前庭に出てみると、目の前にマウントクックの頂点が雲を突いて切り立っていて、後ろから、少し曇っていましたが初日が。

初空に マウントクック 聳え立つ

雨が多く、日本の数倍の降水量のあるこの地で、初めて見るマウントクックが、青空のもときりりと聳え立つのを見る事ができたのは、新年早々とても幸運でした。

初旅や 葉先に垂れる 猿おがせ

朝食後にマウントクックを眺めに付近をトレッキングした時、ガイドさんが猿おがせを指差しました。猿おがせは、綺麗な空気の深山の針葉樹に着生する樹状地衣類。薄黄色の枝分かれした糸状の体が枝葉から長く垂れ下がります。予選に選んでいただいた選者の五十嵐先生から「初旅で、珍しいものを見れましたね。」と言っていただきました。

家移りで 大回りした 賀状着く

一昨年に転居したため、宛先不明で差出人のところに帰っていた賀状も多く、出し直していただいたものが旅から帰ってきたころに手元に届き始めました。

旅の感動もさめやらないうちに詠んだので、楽しく作ることができました。あとで俳句作りの解説を見てみると、切れ字などの決まり事がうまく表現できていないなと反省しきり。少し勉強してみなくては。

サカサマの世界

2011年1月7日

お正月にニュージーランドへ行ってきました。さまざまな発見があり、一度には書ききれないのですが、まずはサカサマ世界のお話を。

南島のマウントクックを見晴すハミテージホテルにチェックインし、日没を待って星空鑑賞ツアーに出かけた時のことです。

まず見えた一番星は、北半球ではなかなか見られないと言われる木星。一等星級の明るい星が西の方に輝いています。北の空には、見覚えのあるオリオン座が。・・でも、なんだか違う感じです。なんと!オリオン座がサカサマになって輝いているのです。南の空に、待望の南十字星を見つけました。これも、写真で見るのとはサカサマで十字架がひっくり返ったかたちです。すぐにはその理由が浮かばず、思わずガイドさんに質問してしまいました。

その答えは・・実に単純なものです。地球が丸いから。言ってみれば、その時私たちは、北半球から見ている時とはサカサマになって星空を見ていたのです。不思議の国のアリスのさかさまの部屋に入り込んだみたいです。南半球では星座が上下サカサマに見えること、ニュージーランドに来るまでは意識していませんでした。

でも、見えた星座をサカサマだと言うのは、北半球の住民の勝手な見解で、南半球の人たちにとってはいつもの星座なわけです。一方的な見方をしてはいけない、と、戒められたような気分でした。

お正月用の生け花

2010年12月27日


学生時代に短い間でしたが家の近くの華道の先生のところでお稽古をしていました。その先生が眼科にいらしてくださったことがきっかけで、勇気をだして30年余りたって再び手ほどきをしていただくことに。まずは玄関にお正月用の生け花を飾ってみました。若松とピンポン菊と千両。それぞれの花の位置にはまだ改良の余地がありますが、ひとまず玄関にお正月らしいすがすがしい華やぎが添えられました。

教えてくださった先生は、貴答恵子先生。明治〜大正期に神戸から世界に羽ばたいた大商社、鈴木商店の大番頭だった金子直吉氏のお孫さんです。学生時代に通っていた頃は、そんなことは全く知らず、最近になってそれを知り驚きました。直吉氏が鈴木商店破綻の後に暮らした御影の家、というのが実家の近くの先生のお宅だったのです。鈴木商店の女社長を描いた玉岡かおるさんの小説「お家さん」の最後にも、貴答恵子先生のお名前が出てきます。

神戸が日本経済を牽引するほど元気だったあの頃が思われるように、貴答先生の話し振りやしぐさは溌剌とされていて、先生の指導で生けられた花たちもしゃんとした感じです。

町火消しの出初め式

2010年11月12日


小学校時代の同級生である友人がご自宅を片付けていて、珍しいものを見つけたと見せてくれました。

ご両親が30年前に浅草の助六という人形店で買われたとの記載のある火消し人形。纏と装束に「六番」と書いてあるのでちょっと調べてみました。

江戸時代、享保5年(1720年)に、隅田川から西を担当するいろは組47組と東の本所・深川を担当する16組の町火消しが設けられ、各組の目印として纏と幟が作られました。享保15年(1730年)にはいろは47組を一番組から十番組までの10の大組に分け、大纏を与えて統括し、より多くの火消し人足を火事場に集められるように改編されたとのことです。

町火消しは毎年正月の1月4日に、各組の町内で梯子乗りや木遣り歌を披露する初出を行いましたが、その始まりは万治2年1月4日(1659年2月25日)に江戸の上野東照宮で定火消しによって行われた出初めであったと伝えられています。明治維新後、明治8年1月4日に第一回東京警視庁消防出初式が行われましたが、その模様は歌川広重が明治8年に錦絵に描いていました。


火消し人形のモデルが、江戸時代の町火消しなのか、明治の東京警視庁なのか、作者に聴いてみないと謎です。

Ojja

2010年10月24日

9月に友人らと訪れた元町のスレストラン「カセント」が、一昨日発売のミシュランで三つ星を獲得しました。「そのために旅行する価値がある卓越した料理」とのコメントが載っています。料理のジャンルは、スペイン料理かと思っていましたが「フュージョン」とあります。タパスなどスペイン風の小皿が独創的に少量ずつアレンジされて並びましたが、フレンチぽくもありイタリアンぽくもあり、国境を越えた料理というわけなのですね。

メインディッシュのあとに出てきたのは「ヴァレンシア風おじや」これは、スペイン語で「Ojja」と書かれていました。「おじや」は鍋のあとの雑炊、純日本製の料理だとばかり思っていましたが、そうではなかったのです!スペインの「Ojja」が宣教師たちと一緒に海を渡ってきて日本に伝わったものだったのですね。

これがOjjaです。美味しそうにお皿に盛りつけられました。




おそらく同じ頃にスペインから渡ってきたキリシタンのグレゴリオ聖歌を、隠れキリシタンたちが今日まで歌いついできた祈りの言葉「おらしょ」。400年という時空を超えてこの祈りの歌を現代の合唱曲として千原英喜先生が作曲された「混声合唱のためのおらしょ」を今、所属している合唱団で歌っています。来週から合唱団は、スペインのバスク地方のトロサという町に旅立ち、国際コンクールのステージで、日本やバスクを始めとする様々な歌を歌います。今回、私は参加できなかったのですが、皆様のトロサでの健闘を心より応援しています♪